◇ワイドちゃんとか詳しいのではないかと
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新左翼主軸の回顧史は党指導の流れへの注目となり、本映画では赤軍連合赤軍関係者の著書や談話がシナリオのベースとなっている。若松の今回の大作は史実に基づき実名主義を採っているが、そのベース故の歪みが本映画の欠陥を生んでいる。タイトルが連合赤軍のため革命左派は23名。旧赤軍派は17人も実名で登場するのはよい。だが情報が赤軍塩見系に偏っているだめに、少数派の赤軍がブント議長をリンチして墓穴を掘るに至る恥ずべき分派形成史を正当化し、あまつさえ内部抗争では人名を含めてウソばかりの羅列となっている。

映画では69・7・6明大和泉校舎を襲撃した赤軍派塩見が自分らが傷つけたブント議長さらぎ氏を病院に連れて行くよう関東派幹部の高橋に頼み、高橋は側の重信に「こんなの革命じゃない」と激怒。次に関東派が報復に東京医科歯科大に押しかけ塩見ら幹部を拉致し、残された重信は私も赤軍派だから拉致せよと高橋に迫るが、高橋は「重信はここに残れ」と説得。更に関東派はバリケード封鎖中の中大内に塩見・花園・物江・望月を連行し、高橋は塩者の指をつぶし「これでゲバ棒は持てないぞ」と恫喝する。だがブント内に関東派などなく、塩見をいさめるさらぎ徳二や松本礼二は右翼反対派だとされる。また当時の中大に高橋はいたが、全国全共闘書記局員に出る合法的役割だ。赤軍正当化のエピソードのことごとくはウソなのだ。

 確認できる事実を列挙しよう。赤軍派破防法で手配されていたさらぎ氏を7・6二リンチし警察に渡す暴挙を引き起こした。急遽連絡を受けた中大社学同は医学連幹部を案内役に医科歯科大に押しかけた。全国動員の赤軍派精鋭部隊は半数30名の中大社学同に30分で粉砕され、塩見は直ちにさらぎ襲撃や叛旗派右派規定を自己批判した。建前はブント防衛だが、中大社学同には前年の学費闘争完全勝利への学対部長塩見の妨害への怒りもあった、赤軍派全員を聖橋からニコライ堂沿いに連行途中に、田宮は恥知らずにも御茶ノ水交番に逃げ込む。中大に着いて首実験をし塩見ら幹部4名を残し他は釈放した。拘束20日後にバリケード維持の方が重要なので明日に解放方針を伝えると、面子丸つぶれを恐れてかその夜に塩見らは窓のカーテンを結んで逃げた。体力不足の望月はそこで落下したが、関西派は望月は関東派に殺されたとホラを吹いた。もし拉致時に中大社学同が党派主義だったら半殺しだったよと、99年の京大11月祭の対談で私は塩見に説明したが彼は都合の悪いことはすぐ忘れるようだ。

◇吉田先生の岡村隆史インタビュー@KINGで印象的なところ

「KING」的にカッコいい言い方をすると、僕はテレビの中で死んでいくしかないので。みんな劇場っていう帰るところがあって、みたいな感じですけど、劇場のトップやったわけじゃないし、そういうところがないんで。テレビから始まってるし、ほぼ。だから、テレビがなくなったら帰るとこないんですよ。

これは泣ける。この認識があるだけで岡村さんは超一流だと思った。